ミレニアム2000 ワークショップ in 函館
こんな町に住みたいなー。
入選者発表

作文&エッセー
コンクール
こんな町に住みたいな大賞
日本一の遊歩道のある街 函館白百合学園高校1年 吉田 美希

悲しいとき、苦しいとき、私は目を閉じて故郷を思い出します。優しい母、頼りがいのある父、暖かい兄弟、そして故郷の景色。二年後の私は、きっと函館から遠く離れた土地で大学に通っていることでしょう。そんな私の心の支えとなるのは、家族であり、家族の住む街函館なのではないかと思います。

現在私はこの街に住んでいますが、不便で退屈な街だと思っていました。愛着が薄いのかも知れません。けれど姉や兄はそれぞれ大学に行って函館の地を離れました。休みになって帰って来ると、

「やっぱり函館はいいねぇ。」
と言います。特に姉は千葉に住んでいるので、
「函館は季節がはっきりしているので好きだ。」
と言います。

寒くて、白一色になる冬。寒さに耐えた草花がいっせいに咲き乱れる春。どこまでも青く広がる空と海。たくさんの人が祭りに興じる夏。暑いと思っていると突然訪れる冬への序章。温かい日と、北風の吹く日が交互にやってくる秋。確かに函館の四季ははっきりしていて、めりはりがきいています。長年東京で暮らしていた母は、
「東京には、季節がない。」
と言っていました。同じ事を姉はいい、函館のすばらしさの代名詞として四季の移り変わりをあげていました。東京では、電車や地下鉄を乗り継いで学校に出かけ、地下街を歩いている生活が続くと、桜が咲いたことさえ気づかずに生活しているといいます。春の訪れを、新入社員や新入生の真新しい洋服で知ります。夏の訪れや秋の訪れを、電車のクーラーのオン、オフで気づきます。そして冬は関東名物のからっ風に肩をいからせているといつの間にか過ぎてゆくといいます。そんな生活が人間本来の生活とは言えないし、健康的な生活とは言えないと、姉がこぼしていました。また、今日の日本の街は、どこに行っても似たり寄ったりです。まるで金太郎飴のように切り口が同じで『らしさ』がありません。快適さや便利さを求めるあまり、町全体が似通ってきたように思います。たように思います。




             八幡坂

遠い昔から続いた四季の移り変わり。その中で人々は創意工夫して、寒さを和らげ、暑さをしのいできました。そして長い冬を楽しむこつや、短い夏を惜しむように生活してきたのです。確かに函館に住んでいる人々は、季節の移り変わりを楽しんでいることがわかります。さまざまな祭りもそうです。また都会ではしなくなって久しい行事を家庭で、学校で行います。だから私は、もっともっと四季を楽しめる函館の街になったらいいと思います。

たとえば、四季の美しさを堪能出来る遊歩道が欲しいと私は思っています。ジョギングしたり、ツーリングしたり、ランニングのコースになったりとさまざまな応用のきく遊歩道が欲しいのです。公園ではなく、遊歩道がいいと思うのです。なぜかと言うと、公園は、そこへ行くためのアクセスや、駐車場などスペースが問題になるからです。けれど遊歩道は、どこからでもアクセス出来ます。だから遊歩道は十キロメートルは、最低でも欲しいと思います。ちかくには川のせせらぎがあり、四季折々の草木があり、ところどころにベンチがおいてあります。そして何よりも、遊歩道がロードヒーティングになっていたら最高です。冬でも散歩やランニングが楽しめるからです。豊かな緑にふれた人々は、きっと自然発生的に会話を交わすようになるのではないかと思います。

最近冬でも、健康のためにジョギングを楽しんでいる人を見かけることが多くなりました。年老いた夫婦がなかよく散歩している姿はほほえましく、またランニングをしている人々はとても健康的に見えます。暑い盛りに、スポーツウェアーに汗をにじませて走っている人には、思わず
「がんばれ。」
と声をかけたくなります。スポーツが大好きな私は、がんばっている人を見ると応援したくなります。

健康な街、潤いのある街、活気のある街、そして四季の楽しめる街−そんな街に私は住みたいと思います。

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