五稜郭物語 その二

五月に入り、榎本軍の敗色は濃厚となった。

箱館港内に残っている榎本軍の回天、幡龍二艦は連日の激戦に損壊し、回天は遂に運行不能とな

り、やむなく浅瀬に乗り上げ、浮砲台として応戦。幡龍一隻がよく奮戦、官軍の朝陽を撃沈したが、

弾薬尽きて、艦に火を放って兵士は上陸し、五稜郭に逃げ込んだ。この日の戦は箱館戦争中、最大

の激戦で榎本軍は大打撃を受けた。

殊に官軍の新鋭、甲鉄艦の巨砲の威力は物凄く、港内からはるか離れた五稜郭の城内に砲撃を浴

びせ、その一弾はわずかに塁上に屋根を見せていた城内の望楼に命中して爆破、数人の死者を出し

た。城内の動揺はますます大きくなった。

黒田清隆は榎本軍が全員城を枕に打死にすることを何とかして避けさせたいと考えていた。

殊に榎本武揚は幕府がオランダに留学させ、開陽丸建造とその操縦に練達させ、帰園以来、長崎

海軍伝習所に入り、築地海軍操練所教授として活躍した人材で、新政府としてもその力倆が欲しかった。

また大鳥主介はフランス陸軍将校から直按フランス式訓練を受けた優秀な指導者であった。

これら当代切っての俊英は新政府としても是非とも、生かして使うべきだと黒田は考えていた。

城内の敗色は濃厚となり、榎本は挽回不能と観念し、自穀を計ったが、止められ、遂に降伏を決

意し、自ら刑について部下を救おうと考え、亀田八幡宮近くの民家で、榎本、大鳥以下幹部が黒田

等と会い、降伏した。

かくて脱走軍が五稜郭を占拠してから約七ケ月にして箱館戦争は終った。

薩長連合の倒幕軍が勝ち、三百年の歴史を誇った徳川勢力は壊滅し、名実ともに天皇親政の明治

新政府が誕生した。

黒田は薩摩出身で若年より西郷隆盛、大久保利通等の指導下に軍人になった人である。

箱館戦争では官軍の参謀として全軍を指揮して、榎本軍を攻撃した司令官である。彼は戦略家と

しても立派であったが、その人間性、腹の大きさには敬服すべきものがある。

脱走軍はたしかに君命に背いて官軍と戦った賊軍ではある。しかし、三百年の長い間、主君と仰

いで来た徳川家への忠誠心を捨て切れずに戦ったので、単なる逆賊ではない。

本を初め、脱走軍の将兵を全滅させてはならない。黒田は何とか説得して降伏させたいと考えていた。

一般兵士は、武装解除後は称名寺、実行寺に一時収容し、便船の郡合がつき次第、郷里に送還した。

しかし榎本、大鳥等の幹部は罪人として檻に入れて警固の侍をつけて東京に護送した。

黒田が何度も降伏をすすめたのは榎本等、有為の人材を助けたかったからである。ところが東京

の政府では木戸孝允をはじめ有力者は断乎、厳罰に処すべきだという意見が圧倒的であった。もっとも

榎本らは奥羽諸藩が降伏した際、降伏すべきだったのに、北海道に軍艦を回して、あくまで官軍に

反抗したのだから罪は二重である。絶対許せないという強硬論が圧倒的優勢なのも無理はない。

しかし、黒田は自分と戦った敵とはいえ、歴代の主君に対する純粋な忠誠心を想うと単純な悪意ではない。

ましてや自分が榎本らを助けるつもりで何度も降伏を勧めた本人だから、彼らの死刑は何としても

黙視できない。そこで熟慮の末断乎として髪を剃り、僧となって世を捨てる決意を示した。

これを見て木戸等の強硬派も黒田まで殺すわけにはいかないと軟化し、死一等を減じて
禁錮刑とし、

入獄三年の後ち、明治五年春、一同を赦免した。しかし一度賊名を帯びた者を世間の

人は相手にしない。榎本等に就職の道が無かった。当時黒田は開拓使次官だったが、深く彼等に同

情し、全員聞拓使に採用した。

一同は死すべがりし命を救われたばがりでなく、今また生計の道を開いてくれた黒田の情愛に感

激し、後半生を新政府のために誠心誠意働いた。榎本は明治七年、海軍中佐兼特命全権公使として

ロシァに派遣され、樺太、千鳥交換条約を締結し、開拓使のためにも馬車、馬そり、蹄鉄等ロシァ

文化を北梅道に導入させ、日露貿易にも努力し、海軍卿、駐清公使となり、内閣に入って逓信、農

商務、外務等の大臣を歴任し、国政に尽瘁し、明治四十一年、七十二才で没した。

大鳥は明治二十年(一八八九)、特命全権公使として清国に勤務し、三年後、韓国公使をも兼任、

枢密顧間官等の要職につき、国政に尽瘁し、明治四十四年、七十九才で没した。

明治二年、箱館戦争終結後、「一将功成りて、万骨枯る」の中国の古語を引いて榎本、大鳥等を

批判する者があったけれども、許されて後の彼等の懸命な国政努力を知れば知るほど、その言の不

当を痛感する。そしてこうした有為な人材を命がけで助けた黒田清隆の人物の偉大さに頭が下がる

のである。



      「函館物語」   石垣福雄 著     中西出版
                                 
                                 (こちらから引用しました)

 

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