化  身

 
 
 「私の選んだ人をみてください。」
ホテルのロビーで、彼女の婚約者に会った。
10歳年上の好感のもてる男性だった。
東京の出版社に勤めていると話していた。
「彼女は、こちらにほとんど身寄りがいないから
大切にしてあげてください」
「私が親代わりのようなものだけど・・・・・・」
やがて教会で、二人だけで挙げた式の写真が送られてきた。


 5年前、父母の故郷に帰って驚いた。
すぐ近くの町には、日本にもってきても恥ずかしく
ないような近代的なホテルが建ち並び、街には商品があふれて
いた。
私が初めて中国を訪れたのは30年以上前、まだ文化大革命
のなごりがあって、男も女も青い人民服だった。
そのころテレビ、冷蔵庫はもちろんのこと、自転車でさえ貴重品だった。
福建の田舎は、電気も通じていなかった。
夜は漆黒の闇、星だけが輝いていた。

 融口(ロンチャオ)飯店にしばらく滞在した。ホテルの玄関ガラスは、くもり
ひとつなく磨きたてられていた。
部屋も外出するたびに掃除されていた。事情の知らなかった私は、どうして
脱ぎ捨てたスリッパがいつもきちんと並べてあるのか不思議だった。
まだ娯楽は、少ない。
夜はテレビの京劇を見ながら、部屋にある冷蔵庫のビールを飲んで
過ごした。
「しまった。ビールがたりなくなった。こんなことなら早めに服務員
に頼んでおくべきだった。」
真夜中を過ぎていたが、ロビーに電話をした。
ノックする音が聞こえた。ドアを開けると、お下げ髪のまだあどけない
顔をした少女が、缶ビールを3本もって立っていた。
残念ながら、どれも冷えていない。
中国では、めったに冷えたビールにおめにかかれない。
そんな習慣がないようだ。
「こんなビールはダメ。冷えたのでなければ」
その少女は困った顔をした。
30分後、それこそびっくりするほど冷えたのをもって
再び彼女は現れた。
「調理場にこっそりしのびこんで、急速冷凍したのです」
私も時間を持て余していた。中国語の練習にもなると思い彼女に
色々な質問をした。
「麗佳と言います」
田舎の中学をでて、すぐホテルで働いているとのことだった。
「今一番したいことは・・・」
「日本に行って歴史を勉強したい」と目をキラキラ輝かせて言った。
「私でよかったら手伝ってあげます。でもあまり当てにしないで待ってください」
純朴さだけがとりえの少女との出会いは、ここから始まった。

 私が保証人になり、一年後彼女は日本にきた。まず日本語学校で学んだ後
札幌の短大に進んだ。
住まいから入学の手続きまで、私が面倒をみてあげた。
もちろん、妻にもその間の経緯は話しておいた。
暖かい地方からきたので、雪が降ると子供のようにはしゃいでいた。
日本語のまだ不得意な彼女のために、学校のレポートは何度か私が代筆した。
私の家にも、学校が休みの度に訪れた。
「麗佳さん、日ごとに垢抜けていくわね。彼女これからどうするのかしら」
確かに妻が言うように、彼女は”女”として輝きを増していった。
会う度に戸惑いさえ感じるようになった。
そして”異性”として意識するようになった。
スタイルは抜群だった。
日本の女性が今失なっている奥ゆかしさ優しさをも、もちあわせていた。
札幌の町を歩いていても、これなら振り返る人もいるだろうと思った。
私を兄のようにも慕ってくれた。
もしも・・・・そんなことを考えるのは止めよう、時間は逆戻りできないのだから。

 
 卒業式、私は親代わりとして出た。
金の刺繍が入った青いチャイナドレスを着ていた。
大輪の”華”をみるようだった。
25歳になっていた。



 その夜、ホテルのスカイラウンジで祝杯をあげた。
「麗佳さん、おめでとう!よく頑張ったね」
少し間をおいてから、彼女に対する誘惑を断ち切るように
「私の役目は終わりました。女の幸せは結婚です。今の貴女なら、どんな男性でも
魅力を感じるでしょう。」
彼女の瞳から大粒の涙がこぼれた。

                  2002.7.1

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