「子どもたちの居場所づくりを目指して」                                                 
                            
森 越 智 子

  
                      

 夜十時、コンビ二の前で数人の中学生に出会った。どの子も塾帰り。授業を終えス
ナックを買いに寄る子、迎えの車を待つ子と様々てある。仕事帰りの会社員のような
子どもの姿が当たり前の風景になった時代、子ともがら、生活の余裕やかけがえのな
い「子ともの時間」が奪われているのを感じすにいられない。それは「時問」に限ら
ず町の中の「空間」ついても同じである。
 先日ハモネプ(アカぺラで伴奏を含む全ての音を構成する)をやっている高校生の
グループと知り合う機会を得た。一番の苦労は練習する場所探し。学校空間はクラプ
活動に占められ、高校生が利用できる公的施設はほんの僅か。民間の施設ではお金が
かかるので練習は夜の公園だという。大人による指示や指導ではなく、子どもが主体
的に活動をしようとした時、受け皿となる居場所や空間はこの町の中にはあまりにも
少ない。
 東京都杉並区では中高生を対象とした大型児童館建設にあたってその設計段階から
子ども達が参加したという。現在この建物「ゆう杉並」は、区内の中高生がスポーツ
や音楽を楽しみ、談笑する場として活発に利用されており、その運営も子とも達に
よって行われ、中高生の意志が次世代へと引き継がれている。子とも達と共に建設に
携わった自治体職員は、「自分に関係するものを自分たちで考えることの正当性と大
切さを証明し、子ともは権利の意味を学び、討議の中で民主主義のトレーニングを行
い、思春期にこそ感じる人問への信頼や仲問との触れ合いを相互に経験した」と話す。
 こうした、子ともに関わることに子とも自身が「市民」として参画するということ
が極めて重要なのは、何より子とも達は未来の町づくりの担い手であり、子とも達は、
社会参画を通してこそ社会の形成者たる主体的な大人に育っていく存在であるからで
はないだろうか。子ともは20歳を境に突然大人になるのではなく、少しずつ大人に
育っていくものなのである。
 また、少子化が進む中、子とも達を豊かに育てる町づくりが、今後の大きな課題で
あろう。安心して子どもを生み育てられる環境作りの中には、今この町に生きている
子とも達が実際に生き生きと過こせているがどうかにも照準を合わせることを忘れて
はならない。今子ども達にとって必要なのは「安心できる居場所jであり、主体的行
動を保障する「空間」ではないだろうか。
 以上の点から、函館市の空地・空家の活用について私は提案したい。
 1つ目、図書館は創造と思索の空間である以上立派な図書館だけが図書館ではない。
現在函館市内に有る図書館は8筒所。少なくとも22中学校区一つの割合でいつでも
利用可能な図書館があるのが望ましい。子どもの本離れが進む中、自由に本と出会え
る空間を保障するために、空家を子どもの意見を取り入れた地域の図書館にしよう。
 2つ目、現在函館市内の公的施設では中高校生個人で申し込み利用できる施設は限
られている。中高生が主体的に活動できる場を保障する為、「ゆう杉並」を参考に現
存する施設を子ども達の企画で活用しよう。
 3つ目、函館市では子ども達が独自に企画したイベント等について利用できる公的
施設はないため、民間の有料施設を利用してケースが多い。そこで、連絡船摩周丸を
定期的に子ども達の企画イベントの会場として提供しよう。又、青函交流の場として
青函合同の「子どもサミット」など、子どもによる会議の場として活用しよう。
 4つ目、無計画な宅地造成や公園計画の不備から、ことも達の自由な屋外空間が失
われている。ホッとする場所、コミュニケーションの場が人間の生活には不可欠であ
る。しかしそこに利用する人の視点が欠けていれば居場所にはならない。例えば市内
の石川公園は市内の他の公園に比して広大な敷地面積を有しているにも拘らず、子ど
も達には利用されていない。公園作りに利用する当事者の視点がないからである。緑
の島、施設跡地などを子とも達の自由な設計でプレーパークにしよう。
 こんな風に、函館に子ども達による子ども達の居場所を作りたい。子ともは自分に
関わることに参加することで市民としてこの町を実感し、次の町づくりの立派な担い
手になると信じるからである。
 大人に出来ることはこれをサポートし、子どもが迷ったときに援助することではな
いだろうか。

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