歌  姫

 会場内は500人以上の人々であふれかえっていた。
17年前、処は中国の福州である。
この地から日本に渡った華僑が、初めて母国で同郷の集い
を開いた。
地元の歌舞団の歌と踊りのショーがあった。
ひときわ目立つ若い女性が、中国、日本の歌をメドレーで歌った。
その後私達のグループが、その女性を囲んで記念写真を撮った。

 ある日、地球の裏側のチリから一通の手紙が届いた。
その中に、街角で撮った写真が添えられてあった。
整った顔立ちの女性が写っていた。
「さて誰だろう?」 私の記憶にある女性のコレクションをあれこれ
思い浮かべてみた。
文面は中国語である。
福州の文字が目に入った。
「あの時の女性だ!!」
日本に戻ってから、記念写真を送ったことがあった。
彼女は三年前のお礼を、演奏旅行の南米から届けてくれたのだ。

 手紙のやりとりが始まった。しかし私は中国語ができない。
友人の林さんに翻訳を頼んだ。
また中国に行く友人に、ちょっとした贈り物を託したこともある。
7年後、二回目の集いが福州であった。
私は都合がつかず参加できなかった。
うまい具合に、いつも翻訳を頼んでいる林さんが出かけること
になった。
彼に手紙とブランドもののバッグ゙を預けた。
福州のホテルで彼女と会った。
言葉ができる強みで意気投合したようだ。
同伴でナイトクラブにも出かけた。
気分がのっていたのだろう。
そこで彼女は、自分の持ち歌を数曲披露した。
クラブの支配人が大きな花束をもってきた。
地元では、名の知られた歌手とのことだった。
観客も予期しない歌のプレゼントで、
大喜びだったそうだ。

 彼は上機嫌で、上のような彼女とのデイトの様子を報告した。
そして
「ユウスイのおかげで楽しかった。こんな頼み事ならいつでもOKです。
翻訳もどんどんしてあげるから。
でも一つ困ったことがあった。
”陳さんからの手紙は中国文でくるけど、中国語ができるのですか。”
と別れ際に彼女が聞いてきた。その時は、笑いをおさえるのに
苦労したよ。」          

                        2002.6.10


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