地球に優しい夜景

                         吉 田 美 希
 
 清らかな孤を描いて広がる扇形の地形に、宝石を埋め込んだように透明の光がまた

たく。そして港には出番を待つイカ漁の船。



約一カ月のカナダ語学研修から帰った私を函館の夜景は、包み込むように出迎えて

くれました。私は思わず。

「ただいま私のふるさと。」

と叫びました。過人は『ふるさとは遠きにありて想うもの』と詠みましたが、まさ

にそのとおりだと私は思いました。ふるさとの美しさ、すばらしさはふるさとを遠く

離れてみて実感できるものだと知りました。以前、旅行に出掛けた母が、

「出掛ける喜び、戻ってくる喜び。」

と言っていましたが、私は久しぶりの機上からの夜景に、戻って来た喜びで震えま

した。こんなに美しく、きらめいた世界が私のふるさとなんです。

両親の元を離れ、ホームステーイをしていた私は、カナダの大自然や、心優しい人々

に接することができました。約一カ月の語学研修は、見るもの、聞くものすべてが新

鮮でとても意義のある一カ月だったと思います。ホームシックになる暇もないほど楽

しい日々でした。

けれど港の風景や、郊外の自然の中に『函館』を感じていました。私が感動を受け

る場所はなぜか函館の風景に似通っていました。つまり私は幼い頃から育んで来た情

景の中で物事を考えたり、また美の規準にしたりしていたのだと思いました。

関西生まれの祖父は、長い間関東で生活をしていましたが、納豆は決して食べませ

ん。又、お雑煮でも、うどんでも関西風を好みます。そして年を重ねるごとに、幼い

日の思い出や風景、食べ物をなつかしがります。人はいつも心の中に『ふるさと』を

もって生活しているのだと実感します。

では私のふるさとはどんな街なのでしょうか。私はカナダヘ行くとき、御土産とし

て夜景をパネルにしたジグソーパズルをもって行きました。私が一番自慢できる函館

の風景だからです。長い歴史のたたずまいと近代的なネオンサインが交錯する夜景は

見事なまでの美しさです。きっとホストファミリーは喜んでくれるだろうと思ったか

らです。私の予測どおり、ホストファミリーは「ビューティフル」を連発して喜ん

でくれました。カナダの人々は自国の自慢をします。ちょっとした風景や、ささい

な出来事でも楽しそうにおおげさに話をしてくれます。ふるさとを愛する気持ちがと

ても強いのだと思います。

ところが私達日本人は控えめに、遠慮がちに話をします。それは私も同じで、私の

中にはいつも『田舎だし、何もないところだから………』という気持ちがあったから

です。しかしカナダの暮らしの中で、函館は美しい街だと自慢したくなりました。

そして函館に帰ってから私は、夜景の美しさをもっと輝くものにしようとしている

人々がいることを知りました。

明治以降の文化遺産である歴史的建造物をライトアップするための『ファンタジー

フラッシュタウン函館』の人々や、地球に優しい光で函館の案内をする『エレクトロ

ミネッセンス』を手掛けた人々。さらに『メタルハライド灯』という省電力でイカ漁

する人々など。

過去から続く夜景の美しさも、少しずつ科学の力でより美しく、より優しく、環境

を考えた未来型の夜景に変わっているのだと知りました。これは地球環境の悪化が叫

ばれている現在、とても大切なことだと思います。私達はクリーンで省エネルギーの

夜景づくりを心掛けるべきだと思います。地球環境に優しい未来型の夜景こそ、光の

街函館にふさわしいと思うからです。地元に根差した研究と、開発がこれからの函

館に不可欠なものだと私は思います。風力発電や、温泉熱を利用したり、太陽熱を利

用したエネルギーを開発し、家庭や会社で活用できるならば、函館の夜景はただ美し

いだけではなく、世界から違った形で注目されるのではないかと思います。

二十一世紀が始まりました。私は二十一世紀を迎えた朝、函館山に登りました。眼

下に白銀の街が広がっていました。一人一人がこの街を愛すること自然環境を大切

にすること。そんなささいな事で函館はもっともっとすてきな街になるとその時思い

ました。

そしていつの日か、ホストファミリーに夜景を見せてあげたいと思います。すてき

なふるさと私の函館を……

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