「雪の夜、キタキツネが訪れる街」
     影 山 欣 一

  この冬でもっとも雪が積もった一月の夜十一時過ぎ、風呂上がりに外はまだ雪だろうかと窓から下の道を見ると、しんしんと粉雪の降るなかを街灯に照らされて、キタキツネがこの町の奥の方へと歩いていた。

  始めはネコかイヌとも思ったが、ネコにしては大きすぎるし、イヌにしてはやはり尻尾が太すぎる。挙動も、トボトボと少し歩いては立ち止まってあたりを見渡しており、どうみてもネコやイヌのそれではない。

 早速、東京や全国に散らばっている友人たち、はたまた函館出身でいまは米国にいる友人にまでeメールを送った。ここ函館は人影のない夜の“雪の降る街を”キタキツネが孤独に歩く街です」。

 反響はさまざまだった。見間違いではないかというのももちろんあったし、函館にそんな山の中の町があるとは知らなかったというのもあった。けれど、そういう友人たちにも一種の憧れというか、いまはなくなってしまった牧歌性への羨望みたいなものが、共通してあった。

 東京から函館に移り住んでこの三月でやっと一年に過ぎない。東京に生まれ、育ったIターン組のひとりであり、とくに係累や友人がいた訳でもない。異国情緒に憧れるほど若くもなく、夢想家でもない。夜も昼もなく休みもろくに取れない仕事をこのまま続けていくことに疲れ、子育てが一段落したのを機会に、昔から嫌いだった東京を四度離れる機会を、北に求めた取っかかりの地が函館だった。

 いままで東京のほかには水戸、京都、米沢に住んだことがあるが、必ずしも住みたいと思って住んだ訳ではない。そして、訪れたことのある街は数知れない。住んでみたいと想った街にはいくつかの共通点があった。冬には雪をいただく山がそばに見えること、森や澄んだ川がすぐそばにあること、できれば海が見えること。そして、隣の家が見えない程度の森の中の家に住めれば、なおいい。

 敢えて定式化して言えば、「物や金ではなく、心豊かにのんびり暮らしたい」ということになるのだろうが、実際にはそれほど単純でも簡単でもない。ある程度の蓄えや収入の道がなければ、心豊かにはしていられないし、自然に囲まれた森のなかの家にももちろん住みようがない。だれもが夢見る空想に終わるしかない。

 函館に住み続ける上での困難も実はその辺に関連する。いまの生活は東京での蓄えと、いまも東京からの仕事で収入を得て、それを函館で消費する中途半端な立場を抜け出せないでいる。函館に住む“生活者”としては、東京に寄生するようなことはできるだけ早くやめにしたい。そうは言ってもなにしろ働く場が少ない上に、いままでの短くはない経験を生かせる場はもっと限られている。函館で望まない仕事をしてでも、果たして心豊かでいられるのか、確信が持てない。

東京ではかなり昔に姿を消した街頭放送が、人影の絶えた夜の通りにかまびすしく響くのも、なにかうら寂しい。友人たちのなかには、そうしたうらぶれた函館の街が好きだというものもいるが、場末の繁華街を思わせるだけの騒音はこの街には相応しくない。

よく利用する図書館にしても、蔵書の内容や運営にはっきりした方針があるとは思えないし、調べ物にほとんど役に立たない状態なのは残念で仕方がない。多くの本が汚れているのも、大事にする文化を図書館自体が育てていない結果と言うしかない。

キタキツネが夜更けにやってくるのは、この町の先はもう市街化調整区域で、原野というより荒野だからでもあるからだろうか。しかし、そこを抜ければ再び忽然と町が出現する。都市計画の無指定地域に雑然と町がつくられていっている。市街化調整区域を荒野にしているのは、資材置き場の名はあるが実際には土砂や産業廃棄物の捨て場や埋め立て地にしているためでもある。沢沿いはとくに悲惨で、どこもしみ出した悪水が沢水を汚している。イワナやヤマベ(ヤマメ)といった清澄な水にしか棲めない魚も減り続けている。

残り少なくなってしまった自然を大切にしていくことが、後世への遺産となることへの認識が薄い気がするのも残念に思っている。

そうは言っても、函館が好きな街であることに変わりはない。だが、かなり矛盾に満ちた、これからの行く先がはっきり見えない街であることも否定できない。

いまの住まいからは、水平線と函館山を正面にした街並みが見渡せる。四季に移ろう渡島の山並みも気に入っている。近場で釣りや山登り、スキーができるのも嬉しい。訪ねてくる友人のだれもがこの街を気に入ってくれる。人情も温かい。だからこそ観光(客)向けではない、住み続けたいと想う人のその想いを、少しずつでも確実に実現してくれる、そんな希望の持てる街になってほしい。

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