番 外 編

 この「メルヘン」を書くに当たって、タウン誌の「街」に連載されている
西野氏の「ライカが行く」が刺激となった。
今年の一月号の「消えた女」が、きっかけである。
九州湯布院の旅情を,、艶のある文章で紹介している。
平凡な出来事でも、彼の手にかかると軽妙闊達な文章で、まるで
魔法にあったかのような格好の良い”ドラマ”に仕立てあげられる。
その文才に、いつも感心していた。
それで私もと思いついたのだが、彼のように古今東西の博識がない。
いろいろ考えて、一番身近な「女」を書くようになった。
しかし彼の作品にはいつも”エスプリ”があり、私のにはない。

 これを書いて意外だったのは、多くの女性が登場するのにも
かかわらず、妻が思いの外冷静だったことである。
どうせモテナイ中年男の”作り話”、と思っているふしもあるのだが。
当初は「まあー こんなことだったの」と横を向いていた彼女も
回数を重ねるにつれ、「この部分をこんな表現にしたら」とか
「あの人のことも書いてみたら」とか「”愛のトライアングル”と言う題
はどう」とか次第にエスカレートしていった。
でも”トライアングル”なら、もう一方は誰になるのでしょうね。

 「結婚のキューピット」のモデルになった方へ、妻はわざわざ
「うちの主人が、こんなことを書いているのよ」とその文を送った。
彼女から「ミステリアス? What a feeling !! 」と返事がきた。
私が鮮明に覚えていることでも、相手は忘却の彼方にあるようだ。
「化身」のパトロンになった林さんに、その「メルヘン」を見せたら「私は
いつも”足長おじさん”でいました」と言っていた。
ホントウカナー。
また「スリップドレス」のミツコさんは、「パソコンを買ったらゆっくり
拝見させていただくわ」とのこと。
それまでに熱がさめないかな。
「歌姫」の愛華さんとは五年前会う約束であったが、彼女が急に北京に
出かける用事ができて、再会が実現しなかった。
次の機会だったら、どちらも年輪を感じるだろうね。
ということで、この物語には実在するモデルがおります。
もちろん、ご迷惑がかからないよう仮名を使っていますが。

 読み返してみると、この「メルヘン」は遠く過ぎ去った”青春”との
訣別の歌でもあり、またやるせない気持ちを癒す鎮魂歌
でもあるように思う。
ウルマンの「青春の詩」に”人間が老いるのは、肉体ではなく
精神が老いることから始まる・・・・”という有名な一節がある。
瑞々しい感性を持続させれば、私たちの年代(50代)でも
それなりの”青春”を取り戻せるかもしれない。

 話はかわって自宅の庭のカラスが、もう子育てが終わったのに
私につきまとって離れない。おかげで庭仕事もおちおちできないのだ。
今朝など私の書斎を、ヒバの樹から覗いていた。
庭は近所の人も自由に往来できるようになっているのだが
襲われるのは、どうも私だけのようである。
いじめたりしたことは、ないのにね。
妻は、「貴方に寄ってくるのは、カアーカアー鳴く黒いカラスだけよ」
とうれしそうだ。     カラスの話
(本当にそう思ってくれれば家庭内は、平和なのですよね。)
「それでは、すこし”火遊び”でもするか」
とたわいない会話で、二人だけとなった家庭の絆をなんとか保っている。

                         2002.7.4

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