函館の町で、アルツハイマー症を患う老父が、三年ぶりに笑顔を見せてくれた。
☆
「もういちど函館に行きたいなぁ」
というのが長期療養中の父の口癖だった。
と言っても自分の名前どころか家族の顔さえ判別できないほど痴呆が進んでいる父にとって、いまさら北海道旅行することがどれほどの意味があるのか、いささか疑問だった。
三日間だけ休みがとれたので、医師の許可を得て≪親子ふたり旅≫が実現した。
函館山の近くの旅館に投宿し食堂で葡萄酒を注ぐと、父は嬉々とした目付きになり、まるで宝物に触れるかのようにして震える両手をグラスに伸ばした。
函館の新鮮な魚貝料理に満腹して部屋に戻り、父に浴衣を着せながら、
「どうですか、父さんが望んでいた函館の町に来た感想は?」
と尋ねると、
「そんなこと望んだ覚えはないよ!」
と相変わらずだった。
翌朝早起きをして函館の町をのんびり歩いてみることにした。
父は日頃から大事にしているヨレヨレの登山帽を目深にかぶり、二十間坂あたりをウツロな目でゆっくりと歩いた。
電車道まで来ると、父はまるで知っている道を歩くかのようにヒョコヒョコと私の前を歩き始めた。
金森倉庫
その姿を見て、子どものころ遊んだ≪のんきなとうさん≫という玩具を思い出した。その遊具は木製の人形で、斜めにした坂の上のほうに置くとトコトコと足を動かして下ってくるのだが、そののんびりとした歩度と膝を曲げない歩き方が現実の父そのものだった。
「覚えてますよね、あれが金森倉庫ですよ」
と声をかけると、
「カナモリってなんだ?」
と不思議そうな顔をされた。
父はひととき、函館で教員生活をしていたのだが、麻雀とビリヤードに明け暮れていたらしい。それでここに金森倉庫があることさえ知らなかったのだろうか。まさかそんなこともあるまいと思った。
そんな父が、もどかしげにタバコを吸い始めた。吸ったばかりのタバコの火をもみ消して、また新しいタバコに火を点けた。
父の頭の中で何かがわだかまっているように感じた。
「ねぇ父さん!」
と声をかけると、しばらく間を置いて、
「なぁに?」
と素っ気ない返事をして振り向いた。
「この風景に見覚えがないのですか?」
と言うと、父はしばらく考えていたが、
「さぁねぇ」
と予想通りの言葉を返してきた。
「まあいいですよ、ちょっとそのレンガの横に立ってみてくださいよ。記念写真を一枚撮りますから」
と父を促して、デイバッグの中からカメラを取り出して父の姿を写し撮ることにした。
コンパクトカメラで撮影するにしては少しばかり構図にこだわった。なぜなら、函館山を背景にしたその風景は、我が家の古いアルバムに眠っているセピア色の写真の風景そのものだったからである。
その写真には、水玉のワンピースを着て鍔の広い帽子を少し斜めにかぶった母と、和服の似合う父の姿があった。
その古い写真と目の前の風景とにピントが合った瞬間、その写真について語ってくれた母の言葉を思い出していた。
「父さんが好きだった函館の町で撮ったのよ。まだオマエが生まれる前だったわねぇ。函館の町をこよなく愛していた父さんが、ぜひ一度見せたいからって金沢に住んでいた母さんをわざわざ招待してくださったのよ」
そんな深い思い出が眠っている風景を前にしても、父はなんの感興も示さなかった。
しかし、五本目のタバコに火を点けようとしたとき、突然父が笑った。本当に嬉しそうな目をして笑い続けた。
やがて……函館山を見つめる父の目の中で風が血を流しているように見えた。
函館の町を楽しむことによって父の痴呆症が治ったわけではなかったが、三年ぶりに見た父の笑顔に「キュン」と胸が締めつけられる思いがした。
その町に暮らす人にとって住み心地の良い「まちづくり」が一番でしょうが、その町を訪れる人や、ただ通り過ぎるだけの人にも心地よい「まちづくり」が望ましいと思う。
いつまでも心が夢を語れるような、だれからも愛される『函館の町』であってほしいとこころから願っています。 |